新米の季節。弥生時代、日本に稲作が伝わったことで、貧富と身分の差が生まれた。

9月は新米の季節ですね!そろそろ店頭に並び始める頃ではないでしょうか。

 

「米」は日本の主食。米の自給率は99%
(ちなみに、米以外の食糧自給率は生産額ベースで68%

 

普段、何気なく食べているお米ですが、日本で最初にお米が作られるようになったのは、いつだかご存知ですか?

 



 

日本人がお米を食べるようになったのは、いつ?

 

答えは「弥生時代」。

 

紀元前14000年頃の旧石器時代、1万年以上も続いた縄文時代、前4世紀から始まった弥生時代

 

 

紀元前5世紀、隣の大陸、中国や朝鮮半島から九州地方に伝わった「水稲作の技術」が、これまでの日本を大きく大きく変えました。それまでの日本人の食事は、自然から得るものだけでした。狩りをして動物や魚を射止めたり、自然にできた実を獲って食べたり、草を食べたり。

 

 

稲作が伝わったことで始めて、自分たちで食べ物を作るようになりました。そして収穫した稲(お米)を保存しておくことも覚えました。これまで食料は、必要な時に必要なだけ獲り、その都度食べる方式で、貯めておくことは無かったのですから、非常に画期的な変化と言えます。

 

同時にこの頃には青銅器や鉄器が伝わり、それまで簡単に加工しただけの石器や縄模様の土器(縄文土器)しか知らなかった日本人は、色々便利な道具を作るようになりました。(日本人は器用だからねェ~!良いものいっぱい作ったんじゃないの~♪)

 

 

貧富の差と身分の差のはじまり

 

稲を貯めるようになると、その量が多い、少ない、で ” 貧富の差 ” が生じるようになりました。それまではいわゆる社会主義・共産主義的で「みな、平等」だったのに、お米(=お金)を貯め込むことで、豊かな人と貧しい人の区別がなされるようになったのです。

 

そして稲作というのは大勢で行う作業が多く(田植えとか、)、それを支持するリーダー的存在が必要になりました。ここで今度は ” 身分の差 ” ができ始めました。「命令する人」と「それに従う人」に分かれました。

 

「お米」を食べるようになって、日本人は平等でなくなったってことね。

 

 

宗教と、村(集落)の誕生

 

稲の収穫量が身分や貧富を左右するようになったので、稲の豊作・不作は死活問題に。すると、その年度の稲の収穫具合を占うための宗教的権威を持つ指導者なる者が現れるようになりました。

 

そして稲作作業を中心に人が集まり、村(集落)ができて、やがて気の合う村同士が集まり国(県)になり、合わない村とは境が引かれ、大きな国になるところもあれば、小さな国としてまとまるところもあり、こうして日本の中で大小の国(県)が出来ていきました。

 

 

 

まとめ

 

「お米」を作るようになって、日本という国はどんどん変わって行ったんですね、なんか面白い!

 

他の国もやはり同じように、「どれだけ多くの食べ物を所有しているか」から、様々な格差が生まれて今に至ると思うけど、「食べることは、生きること」は昔から変わらない。

 

必要以上に食べることなく、過度な食品加工はせず、美味しいものを美味しい時期にいただいて、単純に旬の味を楽しみたいと思います。(by  平凡な主婦)( ´∀` )